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アスペルギルス進化論|有性生殖とゲノム編集の蜜月

Aspergillus Evolution | The Honeymoon between Sexual Reproduction and Genome Editing

丸山潤一[東京大学大学院農学生命科学研究科助教]

Date|2017.9.1 
Venue|東京大学 弥生キャンパス 生命科学総合研究棟
Address|東京都文京区弥生1-1
Lat, Lon|35.717146,139.762279

資料提供|丸山潤一

国を代表する唯一の微生物「国菌」にして、日本の食文化を支えてきたカビ。味噌、醤油、みりん、そして酒。私たち日本人の味覚を形成し、千年以上にわたって付き合ってきた麹菌の研究が、今、加速度的に新たなフェーズへと突入しようとしている。キーワードは「有性生殖」と「ゲノム編集」。進化の過程で失われた機能の復活と遺伝子改変技術の融合は、果たして、麹菌産業と人間の未来を明るく照らし出すのか。東京大学大学院農学生命科学研究科の丸山潤一助教授に訊いた。

アスペルギルス・フラバス(緑字)は毒素を生産するカビである。その中から毒素生産能力を失い、さらに酵素生産能力が高く醸造に優れた性質を持つものが、日本人の手によって選ばれてきた。このように家畜化されたカビが麹菌(青字)である。 Gibbons et al. (2012) “The Evolutionary Imprint of Domestication on Genome Variation and Function of the Filamentous Fungus Aspergillus oryzae”. Current Biology. 22: 1403-1409.

聞き手| 2050年の発酵・醸造文化を考えるうえで、麹菌の「有性生殖復活」と「ゲノム編集」という2つのトピックが大きなキーワードになると考えています。実際にその最前線で研究に携わる丸山助教授が、これらがもたらす麹菌の未来についてどうお考えか、本日はお話をお聞かせください。

 

丸山潤一(以下、丸山)| そもそも麹菌は「家畜化された微生物」として、古くから我々の食生活に役に立ってきたという歴史があります。しかし、そうであるがゆえに、麹菌としてできなくなったこともある。そのひとつが有性生殖です。様々な良い性質を持った麹菌というのは日本各地に存在していますが、それら麹菌の力を合わせるような育て方は今までできなかったわけです。

 例えば、家畜化された動物には牛や豚、鶏などがいますが、それらの動物は「交配」、つまり良い血統同士を組み合わせることで新しい品種がつくられてきました。稲や麦、大豆といった栽培植物でも同様です。長い歴史の中で、時間をかけて交配育種を繰り返してきて、現在の姿がある。

 しかし麹菌に関しては、家畜化されたり、栽培されたり、そういう育成方法の範疇に入るものの、掛け合わせや組み合わせといった方法でより良いものを作るという育種の仕方ができなかったんです。

 

聞き手| それはなぜでしょうか?

 

丸山| 麹菌自体が野生から離れ、特に日本人の手によって飼い慣らされてしまったので、自然界の厳しい環境で生きていくために新しい機能を得ようとする意思をなくしてしまったからです。

 大きな要因としては産業化が挙げられます。例えば、種麹屋さんの存在。室町時代に職業として成立してきて、そこで麹菌は商用として飼われるようになった。それまでは麹菌のコンディションにバラつきがあり、調子の良かった年の麹菌を保管しておいて、それを翌年に使うなど、そういうやり方が取られていたわけです。

 さらに遡れば、麹菌の先祖はアスペルギルス・フラバスと呼ばれる毒性の強いカビなのですが、その家畜化されていないフラバスでさえ、そこまで頻繁に有性生殖を行っていたわけではありません。ですから、やはり麹菌自体が有性生殖能力を持つような状態にするということが重要になってきます。

 そもそも、生物というのは水中から陸に上がってきたという進化の過程があり、カビもそれに当てはまります。元々、カビは土の中で枯葉や動物の死骸を分解して、土の中の物質の循環を促すという役割を持っていて、そこにはバクテリアなどの様々な微生物がいますから、縄張り争いや競合があり生存環境は非常に厳しい。有性生殖というのは空気がないところや、暗いところで行われるという性質がありますから、子孫を無事に生むため、微生物はストレスに強いような構造をつくることになります。

 それが地中に上がってきて、植物体上に入るようになってから、カビはそれまでの有性生殖に使っていた構造をより頑丈にして進化しました。植物体上では、植物は微生物に対して様々な拒否反応を示しますから、それに耐えるためにまた構造を頑丈にする。その過程の中で、カビは本来持っていた有性生殖のかたちから、少し離れてしまったわけです。

 植物体上では、他の微生物も攻撃されるリスクは同じです。弱い微生物はどんどん滅ぼされていって、次第に生存競争がなくなり、有性生殖をしなくても安心だという様に安定化していく。ですからある意味、カビは植物体上で飼われているような形になるんです。

 

聞き手| それを「家畜化」と呼ぶのでしょうか?

 

丸山| いえ、それは人間が介していないので、家畜化とは言えません。自然界のひとつの「共生」ですね。麹菌の歴史でいえば、その状態がアスペルギルス・フラバスだったと考えられています。そこからアスペルギルス・オリゼへと進化し、日本人によって家畜化される過程がスタートするんです。

 我々日本人の主食である米にはたくさんのデンプンが含まれていて、それを分解し糖にするという性質を持っているオリゼは、稲に入りやすい微生物ということになります。同時に、果物やワイン、あるいはビールの起源とも似ているのですが、美味しいところに常に酵母がいるように、お米にも麹菌と一緒に酵母が付いてくる。お米が分解され糖になるという役割を麹菌が果たしたがゆえに、糖を分解する酵母も一緒にくっ付いて、お酒がつくられるようになったという考え方もできるのです。

 

聞き手| お米屋さんがお酒屋さんに麹菌を勧めたことが種もやしの始まりだったという説もあるくらいですから、今のお話はわかりやすくストーリーを持って伝わってきます。ところで、現代の種麹屋さんというのはどれくらいの種類の麹菌株を持っていて、それらの個体差というのはどのように扱われているのでしょうか。

 

丸山| 何千種類とあると思いますよ。それらはきわめて個性が様々なはずですが、私には現時点でその機能を十分に使いこなしているという風には見えません。種麹屋さんは、造酒屋さんや醤油屋さん、味噌屋さんなどへ麹菌を売っていると思いますが、実際に使っている株はごく一部でしかないというのが現状です。

 例えば、日本酒の場合だと吟醸酒が一番いいとされていますが、そこで吟醸酒にいい麹菌となると、当然あるにはあるんですが、それは限られた種類の株で、しかも方向性が一方向しかないわけです。もちろん造酒屋さんによってやり方は違うので、オーダーメイドという形で種麹屋さんが株の組み合わせや配合を変えてはいますが、伝統を重んじる世界であるがゆえに、考え方が硬直してしまっている印象を受けます。

 麹菌が和食に果たしてきた貢献というのは揺るぎないものですが、麹菌それ自体としての可能性はもっとあるような気がしています。例えば乳酸菌のように、麹菌はより身近で、役に立ち、健康にいい微生物だという動きや考え方をもっと浸透させていくのが課題でもあります。

ゲノム編集技術のひとつCRISPR/Cas9システム ガイドRNAによってゲノムの標的部位にリクルートされたCas9がDNAを切断し、その修復過程で変異が導入される。Cas9とガイドRNAは細胞内に残らないため、変異が導入された以外は元と変わらない生物をつくりだすことが原理的に可能である。低コストで効率よく、従来にない変異を導入することができるので、動物や植物をはじめ様々な生物で次世代の育種技術として期待されている。

聞き手| 2010年代に入り、麹菌のゲノム解析やゲノム編集の研究は日進月歩で成果をあげています。有性生殖の話に付随しますが、今後は麹菌を自然生成させるのか、あるいは完全に人工生成させるのかというところで、大きく意味が異なってくるように思います。

丸山| まさにその通りです。自然でやるのか、それとも人工でやるのかという違いですね。乳酸菌と比較すると、麹菌は高等な微生物ですから、何をするにも技術的な課題を克服しなければならない困難さはあるんです。その意味で捉えると、やはり有性生殖はできたほうがいい。

 一方でゲノム編集のような、いわゆる今までの遺伝子組み換えとは違う方法というのも突き詰める必要があります。麹菌に関しては、変異を入れれば目的の株が取れるんじゃないかと思われる節はあるんですが、実際には、それを証明するのはこれまで経験的に難しかった。それは麹菌がアスペルギルス・フラバスと比べて、胞子の中の核の数が多いからです。

 例えば、胞子に紫外線(UV)などを当てて変異を加えたとします。それで1個の核に変異が入って、それが良い性質をもたらすものであれば、もうそれで十分なんですけど、問題は同じ細胞の中に別の核があるということなんです。なぜなら、他の核があることによって、役に立つ性質が表に出てこなくなるから。そうすると、UVをより強烈に当てて無理やり変異を入れ、目的の株を取ってこようとする。それによって生育が悪くなったり、胞子が少なくなったり、本来、緑色の胞子を作る麹菌が白くなってしまったりする。麹菌が他の遺伝子組み換えと違って難しいのは、ただ変異を入れてやればいいっていう単純な話ではないからなんです。

 そこで今自分たちがやろうとしていることは、麹菌であらゆるツールが使えるようになって、最終的には今までにない麹菌を育てられるようなことにしていけたらと思っています。

ゲノム編集技術で麹菌の性質を変える ここでは、ゲノム編集技術によって色素を生産する遺伝子に変異を導入し、麹菌の色を変えた例を示している。現在では、醸造に使用される様々な麹菌株で、このような遺伝子操作が可能になってきている。

聞き手| 例えば、大吟醸に最適かつ最高のオリゼを作ろうといった時に、ただUVを当てて変異を加えるのではなく、完全に機械的に分析しながら、手戻りがないような状態で編集するような技術は、今現在、見つかっていない状況なのでしょうか?

丸山| 実は、最近その論文が受理されたばかりなんです。初めて私たちが、麹菌でそれを実現しました。

 今までだと、いろんな種類がある麹菌株の中から、もっとも野生に近い代表的な株が選ばれて解析されてきたのですが、それは遺伝子を破壊しやすいという理由からだったんです。しかし醸造産業の観点から考えてみると、それはまったく波及しなかった。なぜなら、産業用の麹菌というのは野生に近いものに比べてクセが強く、非常に扱いにくいという特徴があったからです。実験や作り替えをするには技術的なハードルが高かった。これはカビ全体というか、微生物全体に言えることかもしれません。

 しかし、それを効率的に作り替えられる技術というのが、今話題になっているゲノム編集。実際に自分たちが醸造に使っている麹菌株を用いて、狙った遺伝子に変異を入れたり、配列を変えたり、そうしたことがうまくいくようになったんです。

聞き手| 実際に、ゲノム編集を使ってできた麹菌でつくられたお酒が市場に出るとすると、それが実現するのはどれくらい先のことなのでしょうか? また、それが実現するまでにハードルがあるとすればどんなことでしょうか?

丸山| 早ければ5年くらいですね。ハードルとなるのは、ゲノム編集の話であればやはり安全性。一応、今の技術であれば、使われている麹菌すべてのDNA配列を読むことはできるので、以前と比べると、安全性を証明するためのハードルはむしろ下がってきているかと思います。

 国としては「攻める農業」ということを強く押し出していて、植物などは最先端の育種技術を使い、海外にどんどん良さを伝える、売っていくという戦略へとシフトしていることは大きいですね。醸造も私たちが研究しているような最先端の技術を使っていけば、商品に付加価値をつけられるようになり、醸造産業の発展に貢献できる余地は十分ある。海外のほうがむしろ受け入れられやすいかもしれません。

 あとは、やはりゲノム編集と交配、この2つを同時に行っていくことが重要です。人工と自然。まさに対極にあるもの同士を並行して。やはり伝統的な部分といいますか、長年の経験に裏付けられているもの、そしてそこから派生してくるものは大事にしないといけない。そのために有性生殖を復活させるというのはひとつの考え方です。そこに現在の技術を取り込み、より本質的な育種を目指していく。その両輪が必要なんじゃないかと思うんです。

 結局、神の領域ともいえるゲノム編集ができたとしても、わからないものはわからない。例えば、ある遺伝子を標的としようと考えるのは、その遺伝子がどんな働きをするかわかっているからなんです。しかし実際は、麹菌自体がどのように役に立つのかとか、機能するのかっていうことに関しては、ほとんど明らかになってないというのが、我々研究者としての実感でもあるんです。だからこそ、その両輪が必要だという立場をとりうるんです。

聞き手| 塩基配列まではわかっていても、それがどのように振る舞うとか、私たちの人体にどう影響を与えるかというところまでは、わかっていないと。

丸山| 全然、わかっていない。ようやく塩基配列がわかったところで、入り口に立ったという感じ。なので、自然に交配して、こういうものができたという驚きがあるわけです。それは生命現象的に本質的なところが見えてくるということと結びつく話でもありますが、ただ、麹菌の祖先から含めて、いつ有性生殖をしなくなったのかという道のりを考えれば、それが実現するのはすぐではないと思います。それでも最近、私たちの研究の中で、モデルケースではありますが麹菌で有性生殖らしきものができるようになってきてはいるんです。

 麹菌にはオスとメスがあるというのを報告したのはつい3、4年前なんですけど、それを組み合わせると、その真ん中に白い構造を作るんです。これは「菌核」と呼ばれるもので、その中に有性生殖器官である胞子ができる。結局は遺伝子操作をして誘導しているのですが、どうも胞子が袋の中に詰まっているという“らしきもの”が見えてきた。ただ、通常であれば袋の中に8つの胞子が入るんですけど、自分たちが頑張っている範囲では、まだ8つまでいかない。つまり不完全なんです。

 それでも、その有性胞子らしき形態は見えているので、私はほぼ間違いないかなと思っています。こういう形態が見えた時代は、麹菌の歴史上初めてなんです。

聞き手| それは自然な有性生殖による交配ではなく、人為的な有性生殖ということでしょうか?

丸山| 一口に有性生殖といっても遺伝子操作で誘導している部分もあるので、やはり倫理的なハードルも考えたうえで、現時点ではゲノム編集に頼ることになるだろうと思います。もちろん、そういった蓄積を重ねていくことで、そうした操作なしに掛け合わせができるようになるかもしれない。以前にも増して可能性は見えてきています。最終的な構造が見えてきているんです。

 ですからやはり、バイオロジー的な力を借りたものと、テクノロジー的な技術と、この2つを組み合わせていくことで結果がより早く見えてくるということ。一旦見えてしまえば、それを補正していって実用化につなげることはできると思います。

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